キャバクラ嬢と東日本大震災〜地震でも起きなかったサトミとマユ。津波にのまれ、ハイヒールを捨てたアオイ〜
14年前の2011年3月11日に起きた東日本大震災は、夜の街にも影響があった。歌舞伎町ではキャバクラ嬢が出勤できない状況になった。そのため、開いている店が少なく、客はほとんどいない。ある客引きは、「ほとんどの女の子は電車が止まってしまったので、来られません」と話していた。震災は、夜の街、キャバクラにどんな経験をさせていたのか。

東洋一の繁華街と言われる歌舞伎町(撮影:渋井哲也)*写真は直接関係ありません。
東京近郊の電車はほとんどがストップした。歌舞伎町周辺に住んでいるキャバ嬢をのぞけば、出勤したくてもできない状況になった。歌舞伎町周辺に住んでいたとしても、昼間は別の仕事をしていたりすると帰宅困難者になり、出勤できない。
地震のときは「起きていなかった」
震災直後は、地震の話題で持ち切り。サトミ(仮、当時23)は「寝ていたんです。そしたら、誰かが起こすような感じだったんです。でも、寝てしまったんです」と話す。
東京では地震の時、寝ていて、起きなかった人もいたという話を、このキャバ嬢以外からも聞いていました。
この夜、私は、新宿ゴールデン街のバーに行った。その時、ある客が「何かあったんですか?街に人がたくさんいるけど」と話しかけて来た。地震があったことを説明すると、「本当ですか?寝ていたので知りませんでした」と驚いていた。
「寝ていて起きなかった」という話は東京だけではない。

東北の繁華街・仙台市国分町(12年2月22日、撮影:渋井哲也)
停電の中で携帯電話はどうしたのか
仙台市の繁華街・国分町で話を聞いた時も、起きなかったキャバ嬢がいました。マユ(仮、当時19歳)は仙台市よりも内陸部に住んでいた。3月11日の地震で最大震度7を記録した場所だ。そんな場所でなぜ起きなかったのか。
「あ、地震だ、って思いましたよ。でも、揺れただけです。ぬいぐるみは落ちてしまいましたが、それ以上ではありませんから、また寝ちゃいました。ただ、その後、揺れ続けたじゃないですか。だから怖かったんです。ですが、怖いと思って、布団をかぶっていたら、また寝ちゃったんです」
震災直後、停電になった。そうなると、キャバ嬢にとっても命と同じ携帯電話の電源の供給ができない。それは、仕事をしている身としては死活問題だ。しかし、マユは慌てなかった。
「だって、うちのお父さんが自家発電機を持っているんです。仕事がら、ですかね。だから、携帯の充電もまったくの余裕でした」
内陸部だからよかったが、沿岸部で住んでいたら、こうした余裕を持っていると、津波に飲み込まれてしまいかねない。しかし、実際に飲み込まれてしまったキャバ嬢もいた。
津波とは思わず、『え?何?』とびっくり
アオイ(仮、当時20)は沿岸部出身だ。震度は5強だった地域だ。町災害対策本部によると、携帯電話が通じないばかりか、固定回線もつながらない。通信業者の話では、そこまで被害が大きくなるとは想定外だった。

多賀城市(11年3月28日、撮影:渋井哲也)*写真は直接関係ありません。