「東日本大震災を思い出す!」岩手県大船渡市の山林火災ルポ
2025年3月2日、岩手県陸前高田市や大船渡市では、日常とは違って、ヘリコプターの音が響き渡っていた。また、全国から応援に来る救急車や消防車も往来していた。そのため、地元の住民たちは、まるで14年前の、2011年3月11日に起きた、東日本大震災を思い出していた。

山林火災の消火活動。通岡峠付近から(撮影:渋井哲也。25年3月2日)
この日の地域紙「東海新報」は号外で、「赤崎・綾里大火 焼失1800ヘクタールに」「越喜来にも火の手」避難所利用者増加『自身の健康第一に』」との見出しで報じていた。
そして、リード文で、
大船渡市赤崎町合足地内で出火し、三陸町綾里の広範囲に延焼した大規模火災は、発生5日目の2日も、空中と地上から大規模な消火活動が展開された。焼失面積は1800ヘクタールに上り、綾里地区北部から越喜来にも広がったほか、赤崎町では清水、蛸ノ浦方面に拡大。避難所には1200人超が身を寄せ、市では場所によっては定員を超えていることから、新たに旧吉浜中にも開設した。避難指示解除の見通しは立っていない。
と書かれていた。
三陸公民館(写真)にも256人が避難していた。住民の人たちは、煙が見えるあちこちの場所で見ている人が多かった。

避難所になった三陸公民館(撮影:渋井哲也、25年3月2日)
三陸鉄道の三陸駅(大船渡市三陸町越喜来字肥の田)前で休憩していたタクシー運転手の男性は、客待ちで待機していた。山林火災発生の当初は三陸鉄道は釜石―三陸間は往復運転。三陸駅から盛駅まで代行バスが走っていた、という。

三陸鉄道の三陸駅。信号は常に赤になっている(撮影:渋井哲也、25年3月2日)
「昨日まではお客さんが降りて、バスに乗っていたけれど、きょうは全然いない。往復運転してないのかな?情報がない。三鉄の放送もない」
ただ、2日昼のNHKの字幕ニュースでは、釜石―盛駅間は運休と伝えられていた。タクシー会社まで情報が行き届いていないということか。
この男性は吉浜地区に住んでいる。東日本大震災では、津波はエリアには住宅がなく、人的被害はなかった。
「吉浜は(明治三陸津波で)高台に移転していたので、東日本大震災の津波の被害はなかった。震災後、津波石が発見されましたよね」
吉浜地区の津波石というのは、海岸付近にある重さ約30トンの石。昭和三陸津波で運ばれてきたもの。津波記念碑として置かれていた。しかし、道路工事で埋没していた。
「今回の火災の情報は、行政が情報を出していないので、全然わからないんだ。おとといはここにいた。このあたりにも火の粉が飛んできて、煙も匂いもすごかった。視界も悪く、山も見えない。黄砂よりひどく、見えなかった。ほんと、風向き次第だね。このあたり人も避難している人がいる。吉浜のようだ。私も吉浜に住んでいる。妻とも話したけれど、炊き出しするようなのかな。市の職員がするのかな。地域の人はみんな高齢者だから。昔は、婦人会とかあったんだけど、今はないからさ」
越喜来波板海浴場(大船渡市三陸町越喜来字波板)の高台付近で心配そうに見ていた漁師の熊谷忠一さんはこう話す。

心配そうに見つめる熊谷忠一さん(撮影:渋井哲也、25年3月2日)
「ちょうど海抜35メートルのところ。(東日本大震災のときは)津波が(流れて)行くのが見えるんだもの。半島の突端の方だからね…。(火災が起きている方を見て)また、(煙が出てくる勢いが)大きくなったなあ。夜は、すごいものね。いま(夕方16半時ごろ)は、ヘルは飛んでないのかな。(スマホで撮影した、昨夜の延焼は)広範囲だね」
仕事は漁業だという。
「普段は養殖(漁業)一本。俺は。今は孫もやっている。いまは早取りわかめ(の時期)。作業しないと、ワカメが取れない。今年はワカメに期待できない。遊漁船もやっているが、キャンセルが相次いだね。遊漁船はいいが、早くうちさ、戻ってね。ホタテは今の時期は販売していたが、去年今年は、ホタテは全壊滅状態。獲れない。ワカメに頼っていた」

大船渡市三陸町越喜来から(撮影:渋井哲也、25年3月2日)
熊谷さんは吉浜に避難をした。
「昨日の10時に避難命令出て、支度して避難したから。家族8人と友達1人、9人で避難している。うちらの夫婦を含めて2夫婦と孫が4人。孫は、中学1年生から27歳。あとは友達。まあ、賑やかだよ。みんなでいれば、(山林火災のことは)忘れる。今はうちには入れない。警察が許さない限り入れない。ほとんど不可能だね。火事場泥棒もいるとか。津波のときもいたんだもの。そういう噂でね。実際のところはわからない」

火災のエリアは立ち入り禁止となっている(撮影:渋井哲也、25年3月2日)
(3月2日現在の取材をもとにしています)
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