地下鉄サリン事件から30年。松本事件の第一通報者が疑われる中で起きた。あれからとこれから

30年前の今日、地下鉄サリン事件が発生した日だ。私は、被害が大きかった小伝馬町駅でひとりで静かに手を合わせた。
渋井哲也 2025.03.20
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 30年前の1995年3月20日午前8時ごろ、東京都内の営団地下鉄(現在の東京メトロ)丸ノ内線、日比谷線で各2編成、千代田線で1編成、計5編成の車内で、神経ガスのサリンが散布された。乗客や駅員ら14人死亡(司法解剖での死亡扱いは12人)、負傷者数は約6300人とされる。オウム真理教の信者たちによる犯行だった。

 私はきょう、日比谷線の小伝馬町駅に立ち寄った。この駅では1663人が犠牲となり、この事件で最も多くの人が犠牲になった駅だ。このうち、4人が死亡した。小伝馬町駅では、1番線の改札を出たところにある事務室に献花台が置かれていた。ひとりで静かに手を合わせた。

犠牲者が多かった日比谷線・小伝馬町(25年3月20日、撮影:渋井哲也)

犠牲者が多かった日比谷線・小伝馬町(25年3月20日、撮影:渋井哲也)

 30年前、私は、長野県内の村役場にいた。当時、新聞記者をしており、担当する村の総務課長を訪ねていた。担当する警察や行政の広報担当者らを訪ねるのが、当時の朝の日課だった。総務課長と雑談をしながら、村の行事予定や施策などを聞いていた。

テレビを見て、一瞬、首都直下地震かと思った

 そんなある日、総務課長がテレビを指差し、「いかなくていいのか?」と言った。その言葉に誘導されるかのようにテレビ顔面を見た。すると、地下鉄で何かの事件があり、多くの犠牲者が出ていると報道されていた。その姿を見て、一瞬、首都直下地震かと思った。というのも、その年の1月には阪神大震災があったからだ。しかし、地震速報は出ていない。

 東京消防庁の防護服を着た救助隊員の姿も見られた。そのため、テロが起きたのか?と想像した。しかし、特に政治的なスケジュールが発表されている日程ではなかったし、犯行声明もない。そのため、化学兵器だったりして?と思ったりした。当時、化学兵器を想像できたのは、1年前の94年6月、松本サリン事件があったためだ。

 松本サリン事件は、94年6月27日未明、松本市の住宅街で起きた。化学兵器として使用されるサリンガスが散布された。7人が死亡し、600人が負傷した。この事件の第一通報者が警察やメディアによって、容疑者扱いをされていた。十分な証拠もなく、出所を不明な情報がメディアに流された。地元メディアのテレビ信州(日本テレビ系列)だけが、裏取りができないとして、第一通報者に対して容疑者扱いをしない報道をしていた。

松本サリン事件のきっかけとなった、土地取得をめぐる民事訴訟が行われていた長野地裁松本支部(撮影:渋井哲也)

松本サリン事件のきっかけとなった、土地取得をめぐる民事訴訟が行われていた長野地裁松本支部(撮影:渋井哲也)

 私はその当時、松本市の南隣・塩尻市に住んでいた。そのためもあって、松本市には知り合いもいた。その知り合いからも曖昧な情報が入ってきたりしていた。記者でもあるため、入ってきた情報を報道部長にも伝えた。その情報は、特に重要なものではなかった。

 情報が少ないときには、真偽不明の噂話が流れるものだ。ただ、一度、警察がマークをしたことで、第一通報者はメディアにも追いかけられた。長野県警では「○○に年越しそばを食わせるな」という言葉が合言葉になっていたほど、年内解決を目指していたが、逮捕に至ることはなかった。

30年前の読売新聞元旦のスクープを思い出す

 そんな時に、地下鉄サリン事件が起きた。大きな被害があった築地駅の近くには聖路加病院があった。院長の方針で、大量の患者を受け入れることができる病院として設計されていた。そして、この日は外来を中止し、患者を受け入れることになった。このときに巻かれたのが化学兵器にも使用されるサリンであることがわかり、松本サリン事件で犠牲者の治療を担った病院から情報提供を受けていた。

 私は当時、地方紙の記者だったために東京での事件取材はしてない。しかし、その後、山梨県上九一色村(現在は、富士河口湖市)にあったオウム真理教の関連施設に、毒検知用のカナリヤを入った鳥籠を手に警視庁と山梨県警の合同捜査チームが強制捜査に臨んでいた映像もテレビで見ていた。

 その年の読売新聞が元旦に書いたスクープで、オウム真理教の宗教施設でサリンの残留物が検出されたことを伝えていた。松本サリン事件も衝撃的だったが、上九一色村でのサリン製造、残留物が検出されたというニュースも、当時、記者をしていた私は衝撃を受けた。

私にとっても“身近な”存在だったオウム真理教

 オウム真理教はそれなりに私も知っていた存在だった。大学生のときに、「麻原彰晃研究会」があり、新入生を勧誘していたのを知っていた。また、大学の同級生が信者になり、集会に誘われたこともあった。ただ、その同級生の言っていることに説得力を感じなかったために、集会には行かなかった。

 しばらくすると、その同級生の姿をみることがなくなっていた。のちにわかることだが、熊本県波野村の道場で修行していた。また、地下鉄サリン事件後、オウム・シズターズの一人とマンションの駐車場に無断でいたとして、非建造物侵入罪として逮捕されていた。

 オウム真理教は、私の人生の近くにいた存在だった。

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