両親から虐待を受けたサバイバー女性が4月から精神保健福祉士として就職。きっかけとなった壮絶な人生とは?
西日本在住のミコ(仮名、20代)は、3月に精神保健福祉士の国家試験に合格した。4月には医療機関に勤める。ただ、それまでの人生は紆余曲折だった。死に直面したこともある。
「大学に入学する前、大阪で、ネットの掲示板で知り合った友達と、ビルの屋上から飛び降り自殺を図ろうと思ったんです。でも、私は途中で飛び降りるのをやめて110番通報しました。そして下に降りて、(一階で)警察を待ったんです。すると、友達が落ちてしまって…。大変なことになりました。大騒ぎになり、トラウマになりました」

歌舞伎町には少年少女が集まるがトラブルも多い(写真はイメージ、撮影:渋井哲也)
ネットの掲示板に「死にたいよ」などと書き込みした。その掲示板で、関西地方に住むアユム(仮名)と知り合った。やりとりをしているうちに、「関西に来れないか?」ということになった。心を病んでいたミコは「一生、病院の世話になるのは嫌で、(人生を)終わらせてしまいたい」と思っていた。
ネットで心中相手を探して…
「集団自殺に憧れがあったんです。それでネットで(相手を)探していたんです」
集団自殺に憧れたのは、2017年頃。10月、神奈川県座間市で、「死にたい」とつぶやいていていた男女9人が殺害された事件が起きたときだ。私が当時取材した中には、9人が殺害されたものの、10人目の被害者になりたかったと話す人も、それなりに多かった。ミコの心情も近かった。だから、自殺掲示板に参加するようになった。

座間市男女9人殺害事件の現場となったアパート(17年10月、撮影:渋井哲也)
「自殺掲示板に参加するようになりました。でもなかなか(心中相手が)集まらない。集合場所に行っても途中で(集団自殺を)やめるか、集まるまでに返事がなくなるか。そうしたケースは2、30回ありました。集まりが本気じゃない。ネットを彷徨いました。
お金を取られたということもありましたね。『死ぬ前にホテル行く?』みたいなものもありました。(富士)樹海に憧れていて、でも、山梨はすごく遠いとなって、『行く途中にセックスをしてくれたら、連れて行ってあげる』と言われたこともあります。だから、怖くなってしまって…」
事前のやりとりで生育環境が「似ている」と思った
アユムを含む数人とあったときに、自殺の手段・方法で意見が割れた。それに加え、一人は「もう一回、子どもに会ってから」ということになった。そのため、アユムと2人になった。
「アユムとは事前のやりとりで、似たような家庭環境だと思っていました。環境が似ているので一緒に逝こうと思ったんです。会ったときには『来てくれるとは思わなかった』と言われました。過去の生い立ちの話をし、最後に電話をかけたい人にかけようとなったんです。アユムのスマホの電池がなくなりそうで、私のスマホを貸しました。彼氏にかけたようですが、死ぬということを伝えても、本気にしないですよね。私はそのとき、これまでお世話になった警察官に電話をしました。本気にされなかったんですけど、最後に『さよなら』と言って切りました」
こうしたやりとりの後にミユは110番通報した。結局、アユムだけが飛び降りてしまい、亡くなった。
「今考えると、愚かだなと思います。何をしていたんだろうと。なんであんなことをしてたんかな。やらなきゃよかったっていう後悔しかないです。後からですが、自殺幇助とかに問われてもしたがないくらいのことをしたんだなと思いました」
「死にたい」と思ったのは小学生から
そもそも、ユミが最初に「死にたい」と思ったのはいつごろなのだろうか。
「死にたいとか、自殺しようと思ったのは数え切れないですが、一番最初に『死にたい』と思ったのは小6の頃です。その時は、赤信号でわざと渡るとか、ですね。その後は、飛び降りとか、練炭に憧れましたね」
死にたい理由としては、その一つに父親からの虐待があった。
「虐待を受けていました。何をされたのかって思い出せないところがあるんですが、後から勉強をしていく中で、ガスライティングという形の虐待だって知りました」

トー横には、似たような環境の子どもたちが集まってくる(写真はイメージ、撮影:渋井哲也)
背景に父親からのガスライティング
ガスライティングというのは、心理的虐待の一つ。些細な嫌がらせをしたり、わざと間違った情報を流す。記憶や認識を疑うように仕向けること。つまり、相手の認知を狂わせることだ。
「父親は、高機能の反社会性パーソナリティ障害(高機能のサイコパス)と専門家から言われていました。父親からのガスライティングは私が生まれた頃からじゃないですかね。母親から聞くと、揺さぶったり、お風呂に入ったときに放置され溺れたりしました。揉め事が多かったと聞いています」
幼児の頃はあまり記憶がないが、母親からは聞いていた。その後、記憶があるのは小学生以降だ。