【全国の高校で入学儀礼】「声が小さいと応援団から怒鳴られ」卒業生が新潟県教委に問い合わせる/「暗い中で、卑猥な質問をされた」長野県の高校「地方会」は廃止に!
浦和高校の校歌指導。25年前にさかのぼって調査指示
埼玉県立浦和高校で、新入生に対する威圧的な校歌指導が「伝統」を理由に行われてきた。県教育委員会の日吉亨教育長は定例会見で、25年前まで遡って調査するように、同校に指示した。県教委の対応は異例だ。ただ、県内の他の高校や全国各地でも、新入生に対する指導が行われて、問題提起されることがあったりする。
浦和高校の校歌指導は、年代によっても違うが、概ね、次のようなものだ。
入学式の翌日、新入生はオリエンテーションとして体育館に集められる。館内はカーテンが閉じられて、突然真っ暗になるという。事前に校歌指導のことは聞かされておらず、何を始めるのかもわからず、不安にもなる。そんな状態で竹刀を持った応援団が現れる。応援団は学ランを着て、ボンタンをはいた応援団が現れて、強烈な「校歌指導」を始める。
新入生は気合を入れたあと、スピーカーで唐突に一人の生徒の出席番号が指定され、立つように促される。スピーカーのアナウンスに対して「押忍!」と言わなければならない。その際、照明が当てられ、校歌や応援歌を歌うように求められる。
年度によっても異なるが、もし歌えなかった場合、ステージ前に"連行"されるという。卒業生の中には「伝統」として肯定的に見る声がある一方で、精神的な苦痛で学校をやめるという生徒もいた。辞めないまでも批判的な声もある。
「うちの高校も?」浦和高・校歌指導報道後、卒業生が県教委に問い合わせた
浦和高校の威圧的な校歌指導に関する、朝日新聞と弁護士ドットコムでの報道後、県教委に問い合わせをした男性がいる。新潟県立新発田高校の卒業生Aさんだ。
「浦和高校の校歌指導の記事を読んで、(自分の体験したことが)そっくりだなと思いました。こうした行事が今でも続いているのなら、時代にそぐわないと思いました。浦和高校では、被害を訴えている元生徒もいますし、うちの高校でも深刻な影響を受けた人がいるかもしれない。伝統行事として、本当にそれでよいのでしょうか」
Aさんは、県教委に対して、応援練習についての実態調査と改善要望をメールした。すると、県教委から返事があった。
それによると、現在でも、伝統を引き継ぐこと、連帯意識を醸成することを目的に校歌指導を行なっている、とのことだ また、新入生の保護者に対しては、入学式後に校長からの説明があるという。事前に応援団の顧問と応援団員が指導内容や指導方法について打ち合わせをしているとのことだ。さらに、校歌指導のときは、すべての教員が立ちあい、生徒の体調などを確認し、参加できない場合は、事前に申し出ることも可能としている、というのだ。
「過去の応援練習と変わっていないのではないか?」
しかし、Aさんは、在校生のインターネットの投稿などを読み、過去の威圧的な応援練習していた頃と変わっていないのではないかとの疑念を拭いきれないでいた。
「私の頃、新発田高校でも入学後、新入生の『応援練習』が行われていました。天候によっても違いますが、放課後には体育館か校庭に集まっていました。時間は30分から1時間だったと思います。練習場所へダッシュで移動するのですが、遅いと『早くしろ』と怒鳴られます。5種類の校歌や応援歌を立って歌います。応援団は、一人ひとりを怖い表情で睨みながら、新入生の間を巡回します。声が小さいと応援団から怒鳴られ、それに対して『おっす』と大声で返事をしなければなりません」
声が小さい場合は、巡回中の応援団から「ちっちぇえ」と怒鳴られ、その場で4~5回、「あー」と声出しを繰り返す。それでもまだ声が小さいと判断された新入生は、全員の前に連れ出されて校歌を歌わされたという。
「僕自身は声出しさせられず済みましたが、巡回中の応援団が近づいてくると身がすくみました。そうした経験から、同じ学年の同級生が数日、学校を休んでいました。応援練習のせいかどうかははっきりしませんが、同級生とは『昨日のあれが原因ではないか』と話していました」
この男性の妹も同じ高校で、応援練習があった。実は、母親も同じ学校で、長い間、応援練習が続いていた。同じことをしていたようだ。男女に差はない。その後はどうなったのか。
「学校の資料を見ると、コロナ禍だったためか、20年から22年までは『応援練習』の文字がなく、23年には復活していました。1年生だけの応援練習はなくなったようです。校舎が新しくなったためか、学校の雰囲気も変わったように見えます」
出身中学校別にあった「地方会」で何が行われたのか?
一方、校歌指導以外でも、問題になった高校入学後の儀礼がある。
長野県諏訪清陵高校では新入学時に、出身中学校別に分かれて「地方会」というものがあったが、この「地方会」をきっかけにして不登校になった生徒がいたことから、2013年3月末に廃止となった。上級生から下級生への威圧的な指導について疑問の声が出ていたこともあり、解散となった。
いったい、「地方会」では何が行われていたのか。実施されていた時代の卒業生に聞いた。
Bさんは、諏訪清陵高校のある諏訪市の隣、茅野市出身。出身中学校の「地方会」に参加した。
「『地方会』は、出身中学ごとに集まる親睦会です。実際に何をするのかは、地方会ごとに違うようですが、私が参加した『地方会』は、新入生歓迎会として1年生から3年生まで公民館のようなところに集まりました。そこで闇鍋と称して、何が入っているかわからないゲテモノカレーを食べさせられました。もちろん、美味しいわけはないのですが…。
その後、広いスペースのところに一人ひとり、入りました。真っ暗な中で、ろうそくの光くらいの明るさがあり、椅子に座ります。そこで、卑猥な質問を受けます。どんな人が好きなのか。どんなセックスが好きなのか?と。そのほか、攻撃的な内容や人格否定的なやりとりもありました。それを聞いている先輩たちはお酒を飲んで酔っ払っていました」
孟子の「自らかえりみてなおくんば、千万人といえども吾往かん」を実践?
こうした“行事”を正当化する理由もあったという。
「このセレモニーの理由付けが『自らかえりみてなおくんば、千万人といえども吾往かん(孟子)』を実践すべきだからだ!だからやっているんだ!と言われたのも、覚えています。私は、これは、詭弁と思いました。やっている実態は、ただのいじめです」

長野県から富士山を眺める(写真はイメージ、撮影:渋井哲也)
こうした経験をした新入生は、上級生になるとたちが逆転する。
「私も上級生になったときに、新入生に対して、お酒を飲みながら、卑猥な質問をしたり、恫喝まがいの質問を記憶があります」
もともとの「地方会」では、自己紹介をした後に、先輩たちから厳しい質疑応答などがあったが、猥褻な内容の質疑応答になっていったところもあった。Bさんが参加した地方会はまさにそれだった。入学時の通過儀礼だったが、保護者からクレームが入るようになった。
地方会の始まりは1906年。寄宿舎生活をしていた長野県伊那地方出身の生徒が「伊那会」を作ったことだった。それ以来、出身地ごとに「地方会」が作られ、のちに出身中学ごとに作られた。解散をめぐる議論はたびたび起きていた。12年11月ごろには「地方会」の代表者たちが集まり、存続か解散かをめぐって議論がされた。活動が低迷していたこともあり、解散が決まった。
時代とともに変わっていく入学後の儀礼。子どもに対する権利侵害・ハラスメントと受け止められかねない学校行事は極力、なくしていくべだろう。疑問に持つ生徒や教職員も、見直しのために声をあげ、管理職や学校設置者は聞く耳を持ち続けて欲しい。
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