「無差別殺傷事件をなくしたい!」音信不通になるよりは「そんなの無理に決まってる」と笑われたい 元死刑囚の加藤智大の友人、大友秀逸さん
2006年月8日、秋葉原で無差別殺傷事件を起こした加藤智大・元死刑囚。その加藤の友人である大友秀逸さんは、18年目の同日、事件現場を訪れていた。
--秋葉原通り魔殺傷事件から18年目の現場ですけど、かつ加藤元死刑囚の死刑が執行されて5年が経ちます。
事件は昨日、今日のように鮮明に覚えています。風化しいてることは自分の中で全くないです。個人的には、2年ぐらい前から職場が変わりました。以前は現場からから2分ぐらいのところで働いていました。会社の本社もすぐ数分のところです。そのため、月に何回か現場付近を通るのが日常でした。6月8日だから手を合わせるのではなく、通ったタイミングで合わせる場所だったので、あまり日にちの意識はしていませんでした。2年前に職場の場所が変わってしまい、用事があって来るって形でしか来なくなったんですね。
以前は加藤智大に対しての怒りの手紙が貼ってありました。「絶対お前を許さないぞ」などと書いてあったりする。あとは、お亡くなりになってしまった方の関係者の方が、その方の名前を書いている手紙があったり、お水があったり、枯れた花があったり…。割と日常的に見ていたのですが、この前、久しぶりにちょっと取材されるために来た時、「ゴミの放置やめてください」とカラーコーンが一本ポンと置いてあったんです。とうとう初めて何もない状況というのを見ました。元々やはりその物を置くこと自体、推奨されることじゃないですが、人の気持ちですから、花を手向けたいとかっていう部分は、時代の流れと共にどんどん減っていっています。
――加藤と知り合いでしたね。知っている加藤と事件を起こした加藤はつながるんですか?
(一緒に働いていたときに)電話の応対でブチ切れて叩きつけて、(電話を)壊しちゃうような暴力的な側面がありました。カッとなったら、「てめえこの野郎」とか文句言うはわかるんですよ。僕でも言うことありましたが、ついカッとなって、“叩き壊す”ってちょっとギアが違うと思うんですよ。それが1回や2回じゃない。やっぱり、危険な要素、“こいつキレたら危ないな”っていうのは、彼が20歳ぐらいの時に見ていました。
事件を聞いた瞬間に、「え?あの加藤が?」っていう(意外な)印象は正直なかったんです。“そっちの加藤”がやったのかというのが正直な気持ちです。だから、驚かなかったですね。でも、職場で、自分が担当してる人間に対して、ちょっとミスをしたりした時、注意した時に、本人が後で反省して、裏側にいて泣いてたりしたのを見た時には、やっぱり問題点に対して立ち止まって反省もできてる部分も見ていました。どこかで修正して、そういう事件につながらない道に行ってくれる可能性も信じていました。どっちの可能性もあったんです。でも、“そっち”に行ってしまったのか、違う方向でとどまれなかったのかなっていう二つの思いがあります。