指導死裁判で「予見可能性」のハードルを超えられるか 鹿児島市訴訟 指導の一部の違法性を認定したが、遺族は控訴
不適切な指導を契機とした児童生徒の自殺は「指導死」と呼ばれる。これまでにいじめ自殺裁判では「予見可能性」を認めたり、「予見可能性」は必要ではないとの判決が下されたことはあった。しかし、指導死裁判では、指導の違法性を乗り越えることもハードルが高かったが、ようやく鹿児島市のケースで認めた。今後は「予見可能性」のハードルをどのように超えられるか。
渋井哲也
2026.09.08
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いじめや体罰、不適切な指導に関連する裁判事案では、その行為の違法性やその認識が一つのハードルだが、より学校や学校設置者の責任を問うとなると、さらに高いハードルが「予見可能性」だ。違法行為があったとしても、予見可能性がなければ、責任を問う「相当因果関係」が認められないからだ。8月26日、鹿児島地裁で判決があった中3生の指導死事件では、担任の不適切な指導の一部で違法性が認められた。しかし、具体的に予見ができなかったとして、学校の責任は認められなかった。原告である遺族は9月1日、福岡高裁宮崎支部に控訴した。予見可能性を中心に検討してみよと思う。
まずは行為の違法性が大前提
まずは違法性があることが前提になる。違法性を鹿児島地裁が認めたのは担任による一部の指導だ。2018年9月3日は始業式だった。この日に締め切りの夏休みの課題を男子生徒は忘れた。その意味では、指導の必要性は認めている。しかし、担任の指導の態様や内容を考慮し、違法性を指摘した。