沖縄研修旅行当日もあった不安要素。引率教員はボートに乗らず、学校安全が蔑ろにされた。同志社国際高校・報告書を読む
2006年3月28日、同志社国際高校(京都府京田辺市)が高校2年生を対象に実施した沖縄県への研修旅行の最中、名護市の辺野古沖の「コース」で、生徒が乗船していた「不屈」と「平和丸」の2隻のボートが転覆した。「平和丸」に乗っていた武石知華さん(17)と、「不屈」の船長が死亡した。武石さん以外の17人中、16人が負傷した。
この事故に関連した「第三者による特別調査委員会」の「調査報告書」に引き続き、読み解くが、今回は、当日の準備までと事故が起きるまでを取り上げる。当日の事故は、いつか起きる可能性があったことがはっきりする内容だった。ボートに教員が乗っていなかったことが不思議だったが、その点も明らかになった。
出航前にあった不安要素。「政治的中立」以前の問題
当日の事故が起きるまでを読み解いてみる。
そもそも、「辺野古ボートコース」では、具体的にどのような航路を通る予定なのか。同志社国際高校の教員と、船長らとの間では協議されていなかった。1カ月前の電話でも、どのような乗客を何人乗せて、どのような航路を通るのかを共有していない。
同志社国際高校では、これまでの研修旅行での振り返りも共有されず、安全管理も議論されることはなかったが、2025年度の研修旅行も同じことが繰り返された。安全管理面の対策を怠ってきたことの積み重ねであり、いつか起きる事故だったとも言える。
そんな中、当日の前半組では「不屈」には船長と生徒8人、「平和丸」には「ヘリ基地反対協議会」の関係者2人、生徒10人が乗った。
ヘリ基地反対協議会の自らの申し合わせが無視された
なお、ヘリ基地反対協議会(海上行動チーム)では、2014年の抗議船出航準備中に水難事故があり、死亡者が出ており、1隻に乗船員(船長)が2人は乗船するという申し合わせをしていた。
2026年3月2日、「不屈」の船長が学年主任とのやりとりで「船長は私と、協議会の関係者。なかなか船長で動ける人がいなくて、いまのところこの2人です」と言っていた。ただ、6日には、もう1人増えたことが伝えられ、「これで船を2隻出せます」との発言があった。そうした発言は申し合わせが存在することを認識していたのではないかと思われるが、不屈の乗船員(船長)は1人だけだった。その意味で、出航時点から、そもそも、申し合わせを無視していたことになる。
この時点で、不安要素があるのだが、付き添いの教員はそれを感じていないのだろうか、躊躇していたことは、少なくとも報告書では確認されていない。