【東日本大震災から15年】石巻・大川小学校では多数の児童が犠牲になった。あの日、避難のタイミングはあったのか。生存教諭の証言は?
東日本大震災から15年。学校管理下の事故としては最大の死者・行方不明者を出した宮城県石巻市の大川小学校の校舎跡が、当時の津波被災を伝えている。いったい、当時、何が起きていたのか。遺族が自主的に調査を始めた。その後に設置された「大川小学校事故調査委員会」の内容は、遺族の調査を超えるものはなかったー。
渋井哲也
2026.03.12
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宮城県石巻市の新北上川の河口から約5キロに、市立大川小学校の校舎跡がある。2016年3月、市は津波にのまれた校舎を「存置保存」し、震災遺構とすることを決めた。周囲は公園として整備し、「大川震災伝承館」も設置した。今でも当時の津波被災を伝えている。その校舎だけ見れば津波の勢いの恐ろしさがわかるが、遺族らの語りを聞くと、人災であることも伝わってくる。

遺構となった校舎跡の野外ステージ壁面には「未来を拓く」の文字が刻まれている。校歌のタイトルでもある(15年2月22日、撮影:渋井哲也)
これまでの取材メモをベースに当日、何があったのかを振り返る。